無常の世を正しく生きていく
常で無いこと。常とはいつも同じで変わりがないこと。
言い換えれば、絶えず変化し続けているということになる。日本では、世の中が無常であることを昔から詠んだものも多い。
色見えで移ろうものは世の中の人の心の花にぞありける
905年 古今和歌集 小野小町
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
1212年 方丈記 鴨長明
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す
奢れる人も久しからず、春の夜の夢のごとし
猛きものもついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ
1221年 平家物語
どれも有名な歌なのでご存じかと思いますが、どれも未来永劫はないということは共通しています。人の心もそう、自然もそう、盛者もそうです。
かと言って歩みを止めてしまえば、取り残されていくのはいつの世も同じ。流れに乗れば景色は変わる?変わらない?どっち?そんなこんなで過ぎ去る日々。
不安とか焦りとかじゃなく、もやもやした気持ち、そう自分への苛立ちを感じたことはありませんか?
仕事や対人関係でうまくいかないことがあったり、四苦八苦している自分に嫌気がする。そんな自己嫌悪に陥り、ふと四苦八苦とは何だろうと疑問に思ったとき、その本質に触れることで一歩前に進めるではと思ったので調べてみました。
人は人生において、さまざまな苦を背負いながら生きている。たしかにそうだ。しかし「苦」って何だ?と改めて考えてみるとよくわからない。
「四苦八苦 意味:“非常に苦労すること。たいへんな苦しみ。“」という四字熟語の語源を調べてみたら、仏教の真理からきていることがわかった。仏教で「苦」とは「思い通りにならない」という意味で使われていて、「苦」には8つの苦しみの本質があるという。
そこで宗教と関わりのない自分なりに8つの苦を2つに分けて考えてみた。
心身を思うようにコントロールできないこと
どんなに愛していても、いつか必ず別れる時がくること
恨みや苦しみを抱いてしまう人と出会うこと
お金や物、地位など求めるものが手に入らないこと
日々過ごす中で「苦」を感じるのは、時間的な四苦よりも感情的な四苦のほうが多いかもしれない。それは別れだったり、未来への不安の苦しみだったり、思い通りにならなかったりとさまざまな形でやってくる。
これらを回避するには、己の考え方をまずは改める必要があるようだ。世の中のすべてのものは因果関係があり、相手からもたらされているのではなく、自分の心が生み出しているということらしい。
思い通りにならないことを自分以外のものに原因を求めてしまう未熟な自分。そんな己を鍛え、プライド、欲望など(煩悩)を消し去る。そうしたことで結果、幸せになれるという。
つまり「苦」というものは常にそばにいて逃れることはできないが、少しでも自分を高めること、または瞬間瞬間ベストな対応を取ることによって、「苦」を感じない自分にすることができるかもしれないということ。
これは決して諦めるとかそういうことではなくて、起きた事柄に対しての捉え方次第でそうなるということだと思う。
でもこうして自分を高めた先に果たして結果はついてくるのだろうか。自分はまだそこに達していないのではないか?。そしてまた不安になる。また繰り返す。そう考えているうちはまだまだ自分は未熟。笑うしかない。仏門に入るわけでもなく、今日もまた自問自答を繰り返す。オノレヲキタエヨ。
明日と呼べない朝が来る前に、遥かユートピアを求めて眠りの中で旅をする。ユートピアとは生きる苦しみを忘れさせてくれる楽園ガンダーラ。
ふぅ、こんな意味のないページをお読みいただきありがとうございました。終わりに一言
疲れたら一休み、そしてまた歩む。心のゆとりを大切に。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
色は匂えど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔いもせず